キャリコンまぁさのキャリアもシンプルな構築で。

一個人として、またキャリアコンサルタント・コーチとして感じたことを綴っていくブログ

自由、自由とはいうけれど。

「自由になりたい」と

よく人は言うけれど。

具体的にどんな風に

なりたいのだろ?

 

この頃英単語でばっかり

説明をしようとしているが、

(語彙力が足らないんだな‥)

今回も飽き足らず、

また英単語の力を借りて

区分すると、

freeとliberty の違いなのかと。

Wikipediaで言うところの

最初からある自由:freeと

欲しいと望んで手に入れた

自由:liberty 、

どっちを望んでいるのかな?

 

なんの制約もない自由を

望んでいると言う人に

限って、

本当にその状況に置かれたら

潰れるんじゃないかと

思ってしまうのよ。

言うならね、

宇宙空間に物体を放つ感じ?

どこまでもどこまでも

行ったっきりな、ね。

何でもありとも言う。

何をしても咎められないけれど

その結果においては全て

自己責任ということ。

ここまでの覚悟を

している人には

何も言うことはないのよ。

全てを受け入れた上で

自由に生きるのだから。

 

 

ただ、大抵の人は

それはそれで

困ると思うのね。

自由は欲しいけれど、

さりとて

何かあった時の

後ろ盾だって欲しい。

または、この部分だけは

自由を認めて欲しいだけで、

あとは今まで通りで

構わないと思う人だって

いるのだから。

 

枠があるから

(ルールがあるから)

安全を確保された中で

自由に振る舞える。

そういうところがあればいいと

考えている人にとっての自由は

liberty そのものだと

思うのだけれど、

時々、枠を広げて自由な部分を

増やすのではなく、

枠そのものをなくそうとする

人がいてね。

それは無法地帯で生き抜く

覚悟を必要としますよと。

 

ないものねだりや

ちょっと愚痴をこぼしたいだけ

そんなことは

こっちもわかっているけれど、

足元にも沢山の自由が

あるっていうことを

思い出して欲しいし、

不自由な枠を自分で広げて

自由を増やすこともできるから

敢えてツッコむし、

掘り下げたりもしますよ。

 

自由の定義は

主観的なものなので。