キャリコンまぁさのキャリアもシンプルな構築で。

一個人として、またキャリアコンサルタント・コーチとして感じたことを綴っていくブログ

次から頑張る、気をつける、ちゃんと、きちんと、しっかりと、のワナ

家庭でも学校でも職場でも。

上の側はこの言葉を言えば

わかると思い、

下の側はこれさえ言っておけば

逃れられると思ってる。

 

お題目を唱えてますねー。

残念ながらこのお題目、

一見便利そうだが、

そうは効果を発揮しない(笑)

 

だって具体的に何を言ってるか

共有できてないでしょ?

いうなれば、

「あれをあーしてちょうだい」

と何も変わらない。

 

玉虫色決着を全て悪いとは

思ってないよ。

でも玉虫色がしょっちゅうでは

何も動かないし、

何も進まない。

誰も何も考えてない。

先送りして、また同じように

お題目を唱えるだけなんだよ。

 

時間の無駄になるし、

何より毎度毎度のお題目で

上の人間の顔色伺って、

下の人間は言うだけで

ちっともやらないと愚痴り、

疲弊するだけだね。

 

 

やらなくても

何とかしのげるんだったら

差し迫るまでやらない方が

いいんじゃないのかな?

 

切羽詰まってからの方が

具体的な話をするのだろうし、

崖っぷちなら実行するよね?

 

 

まあね、毎度毎度崖っぷちも

精神衛生上よろしくないので、

余裕があるうちに

本当は行動したいもの。

 

そのポイントは、

「具体性を持って」だ。

 

小さな子に

「椅子にきちんと座りなさい」

と言ったところで、

何がきちんとなのかは

子供はわからない。

だから、

深く腰掛ける、背筋は伸ばす、

大股開きにしない、

手は膝の上、顔はまっすぐ前‥

一つ一つ伝えて

きちんとがこの場合何なのかを

具体化させていく。

 

椅子の座り方くらいなら

大体正解と考える型は

人によって

大きくは違わないから

一度身につければ済むけれど。

 

これ、人生や仕事の進め方だと

同じようにいくだろうか?

気をつけると言ったって、

誰に対してなのか、

何に対してなのか、

いつのことなのか、

どこの話なのか、

どう気をつけるのか、

そもそも、

なぜ気をつけるのか、

尋ねたら尋ねた数だけ答えが

返ってくるんじゃない?

意とする答えはないかもよ?

 

そして気づくんだよ。

自分もまた

具体的にどうすることを

希望しているのか

明確にしていなかったこと。

 

何となくね、

理解しているつもりで

普段は齟齬が起きないように

互いにやっているんだけどね。

 

年代や性別、文化的背景の違い

経験の差、その時の精神状態や

天候一つでも、

変わってくることなんて

当たり前で。

 

だからこそ、不要な摩擦を

避けるために、

敢えて先に

具体案を提示することが

必要なんじゃないかって

思うのね。

 

「皆まで言うな」は

もう使える道具じゃない。

忖度して、動く人より、

自分の考えと相手の考えを

擦り合わせて行動する人の方が

信頼されるし、

行動を起こすに至った

理由もわかる。

 

上手くいかなかったとしても

何が良くなかったのか、

リカバリーの方法や

今後の方向性についても

言語化されて共有できることが、

その人だけでなく、周囲にも

大きな学びをもたらすので、

人材としての価値も高まる。

 

そろそろ気づいてね。

曖昧さだけでは

上手くいかないこと。

世知辛く感じるのかも

しれないけれど、

過剰に適応しようとしなくても

良くなるという

メリットだってあるよ。