キャリコンまぁさのキャリアもシンプルな構築で。

一個人として、またキャリアコンサルタント・コーチとして感じたことを綴っていくブログ

私の行き当たりバッタリキャリア 〜2社めの面接、そして次の職場も?〜

1994年12月29日。

この年末押し迫った日の面接。

それにしてもー

世間一般は仕事納め若しくは

年末年始休暇に入っているで

あろう日に面接。

今なら、訳あり?と疑いも

するが、さすがお花畑。

ありがたいとしか感じず。

 

予定通り13:00に家を出て

少々迷いもしたが、

近くで時間を潰せるだけの

余裕を持って到着することが

できた。

 

控え室に通され、順番を

待っていた時のこと。

14:00を廻っているのに、

奥の部屋に女性がたくさん

入ってきてどうもお昼を

食べている様子。

こちらに面接待ちがいることを

知ってか、控えめな声で

話をされているようだが、

なぜか10分足らずで

全員いなくなった。

その時は、休憩だったのかな?

と思ったのだが、

後にそれが何なのか

体感する羽目となる。

 

そして、面接なのだが…。

正直チョロかったのだ。

志望動機といっても、

専門学校の専門性を

生かしたいと言い、

専門性とは異なることも多い

部署だが?と問われれば、

直接でなくとも

専門性というのは発揮できるし

人の役に立ってナンボと

いう点で、差はない、と

言い切った時点で、

履歴書に丸印がついたのを

確認できたので、

あとは雑談のように

楽しく少し話して終了。

 

入りたかった会社だからか、

(望みの部署とは違うけれど)

完全にフロー状態に

入っていたというか、

勝手に口が動いて喋っていた。

あがっていないわけでは

ないけれど、

何を言われているか

分からなかったり、

言いたいことを伝えることは

できたように感じた。

この点において

前の会社に一つ感謝を

するならば、

大人と話す機会は

これでもかとあった。

正しい敬語を

使えていたとは流石に

思わないが、

少なくとも失礼だったり、

拙さが有り余るような話し方

ではなかったのだと思う。

 

そして翌日。

電話が鳴り、年明け4日から

きて欲しいとのことで、

短期集中型の就活は

一応の終了を見た。

 

 

ところがー…。

 

先に結果を記しておくが、

この部署には約2年半いた。

その後、散々希望していた

部署に異動を果たす。

その後、この部署は

分社化され、さらに

他社に吸収されていった。

 

で、この2年半。

肉体労働は全くないが、

定量のデータを記憶する

頭脳労働と、

恐ろしいまでの感情労働

追われることになる。

 

それと合わせて、

自分が、

人と協調して行う仕事を

はじめ、仕事に至らない

基礎的なことまで、

極めて苦手であることを

目の前に突きつけられることに

なる。

お花畑脳に対して、

ことごとくNo! を

つきつけられる日々。

 

さらに、次から次へと

人が入れ替わり。

牢名主だけが変わらない

あのパターン。

何をしても怒られ、

何をしなくても怒られ。

神経性ナントカみたいな痛みが

常にあると、鋭い痛みも

鈍痛程度になるわけで。

ずっとお腹はコワれていたし、

そのうち呼吸が、

急にキュッと首を絞められた

みたいにできなくなる症状が

1日に何度も出てくるように

なって。

ただ、自分でこんな症状では

死なないな、って

わかっているので、

苦しくてもそのまま仕事を

し続けているのね。

 

今の自分の視点から見ると、

体育会系とヤンキー文化が

混ざった会社でね。

上下関係が異常に強固で緊密な

面倒くさいところであった。

 

この部署は、

臨床検査センターの

検査に関する事務部門で。

臨床検査センターって、

皆さんご存知でしょうか?

病院や健診センターで

採血や採尿などされたことは

あると思います。

この血液や尿のことを検体と

呼んでいます。

病院内に検査部門がある所でも

全ての検査を行っているわけ

ではありません。

また、検査センターが

その検体を預かっても、

希望されている検査を全て

行なっているとは

限りません。その場合は、

行なっている検査センターへ

外注という形をとっています。

(基本的な形として。他にも

色々な要素が絡んでいます)

 

検査の事務部門というのは、

病院や検査センターから届いた

検体とオーダーシートの

照合と、情報入力、

結果入力が主な仕事です。

現在だとバーコード化で

さらに作業が少なくなって

いるかもしれませんね。

ただ20年も前のこと。

あちこち人力が必要かつ、

部署間連携が必須で。

 

とにかく空気を読める人間が

重宝される職場で。

広く浅くの人間関係を築ける

人なら上手く泳いでいけたの

かもしれませんが。

 

何で怒られているのか、

ほんとわからなくて。

1年目、始末書50枚以上

書いてるんですよ。

しかも、部署の空気として

誰かに書けと言われる前に

忖度して書くことを

望まれているのです。

それを部長に提出するんですが

何があったのか聞かれても、

起こった事象は説明できる

けれども、何が悪かったのかは

わかっていないわけで。

 

忖度でさっさと書いている

ようなことなんですから、

本来は始末書なんて

必要ありません。

互いに気をつけましょうね、で

済むことです。

 

そういう空気が、

入って1ヶ月で見えてきて。

でも、もう後がないんです私。

これでまた辞めたら、

いよいよ卒業後プー街道

まっしぐらだと思いました。

職歴として書けるように

1年はいようと思い。

 

3月に卒業を迎えるわけですが、

会社もそれまでは学生と

いうこともあり、

あまり遅い残業や激しい叱責は

控えていたようで。

 

4月に入るにあたり、

社員になることもできるが、

どうしたいか聞かれ、

社員になった私。

えぇ、地獄の1丁目1番地に

自ら踏み出したんです。

 

周囲の応対がガラッと

変わりましたもの。

新人研修の名の下の

掃除。

私が当てられたのは

トイレ掃除なのですが、

別にトイレ掃除そのものが

嫌なのではありません。

トイレ、男女別ではなく、

共用だったのです。

男子用小便器と個室の。

私が掃除していることに

構いなく、入って

用を足していくわけですよ。

最初はトイレから私が

出て行ってたのですが、

そのうち、

「出て行かなくていい」と。

それでも出来るだけその方向を

見ないようにしていると

いうのに、会話を

してくるんですね。

声をかけられたら、

相手の方を向いて返事を

しますよね?

どうしたものかと思って、

女性の先輩に相談したことも

あったのですが、

「しょうがないんじゃない?」

と。気にするしないは、

自分の捉え方だからと。

 

また、1日の中で手が空く時間

というのがある仕事なんです。

午前中はバラバラと検体が

入ってきて、それに合わせて

検査も動くので、

なんかかんかやってて。

でも午後は、検査結果が

出るのも、午後の検体が

入ってくるのも

夕方なんです。

忙しい日は午前の残りの仕事が

ありますが、

平常は、急がないけれどやって

おいた方が良い仕事を

やると良いなんて

言いますよね。

では、その平常状態が

2週間も3週間も続くと

どうなるのでしょうか?

 

もう、考えうる限りのことは

みんなしました。

事務に携わっている全員が

ヒマなんです。

でも、休憩は許されない。

雑談したら、始末書です。

(忖度の賜物の)

お手洗いと水を口に含む以外は

仕事の用事以外で

席を立てない。

適当な何かを引っ張り出して、

仕事している

フリするんですよ…

 

もうなんだろ、書いてて

虚しいわ。

 

ギスギスしている人間関係。

ホンネなんて口にできない。

新しく入ってきては

あっという間にいなくなる人。

それをただ見送る私。

会社の経営状態は悪化。

(検体の本数が売り上げと

ほぼ直結)

そして、自分は事務仕事や

グループで行う仕事に

向いていないと

はっきり自覚。

(でもその考えも誤りだと

ずっとずっと未来で気付く)

 

年2回、自己評定とともに

異動希望も出せたので、

一番最初の提出時を除いて、

ずっと異動希望を出し続けた。

実験したいな…って。

1+1が2になるような世界に

いたいと思ってた。

ここは、1+1は-1の世界だって、

早く逃げたいなって思ってた。

 

それでも2年半いたのは

なぜなのか?

 

一つ目は、自動車免許が

取りたかったから。

1年目にせっせと積み立てた

お金で2年目に免許をとった。

 

もう一つは、事務といっても

生命科学だったから。

事務と聞くと、

パソコンと文房具が使用する

道具として思い浮かぶけれど、

血液から血清や血漿

別の試験管に移す作業もあり、

少しだけでも実験気分が

味わえたこと。

そして、

データの数値の推移と

患者さんの状態について

考えられたこと。

患者さんの情報は最大でも

お名前、性別、年齢と

依頼された検査項目、

過去に依頼されていれば、

そのデータまでである。

 

検査項目単独では、

ただの数字でしかないけれど、

検査の項目が複数になれば

何が知りたいのか、

そして過去データがあれば

どういう経過を推移もする。

もちろん、そんなことは

誰にも言ったことはない。

ただ頭の中で考えてみるだけ。

時々計らずや、答え合わせに

出くわすことがある。

病院からの電話だったり、

新聞広告だったり。

 

作業そのものには辟易してた

けれど、雫ほどの楽しみが

あったから、

体に症状が出ても出勤して

いたのだと思う。

 

2年が経過したある日、

内線電話が鳴って、

「見学に行きたいか」

専務に尋ねられた。

ずっと働きたかった部署の。

その時点では、

異動が叶うかどうかは

まだ聞いていなかった。

ただ、他部署から

その行きたかった部署に

随分と異動がなされているなと

それは把握していたけれど。

余りにもうるさく異動希望を

出していたから、

見せるだけ見せようとでも

思ったのかと、

その時はその程度の認識で。

 

見学に行くってことが

どういう意味なのか

わかってないなんて、

相変わらずの

お花畑さんだったのだ。

 

見学に行って、

施設を見るのは勿論のこと、

話を聞いて、

マッチングだったということに

今更ながら気付く…。

現状の仕事の状況をはじめ、

やたらと残業時間や

仕事の進め方、働くにあたり

重要視していることを

丁寧に説明し、

それについてどう考えるか、

どうしていきたいのかを

聞かれた。

 

見学を終えて帰る際に、

最終的に決めるのは

上層部だけれども、

話した感想なども(専務に)

伝えておくと言われ、

本当にセレクションに

かけられていたのだと

自覚した。

 

でも、異動はないだろうなと

思っていたんだ。

定期異動まで、

きっと自分はいられない。

またアルバイト情報誌

買わなきゃ…と思って

いたから。

ちょうど人の流入

収まっていて、穏やかに

辞められるんじゃないかと

そんな目論見をしていたから。

 

それよりも早く、

異動辞令が出たんだ。

 

 

また明日(^^)/~~~

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