キャリコンまぁさのキャリアもシンプルな構築で。

一個人として、またキャリアコンサルタント・コーチとして感じたことを綴っていくブログ

私の行き当たりバッタリキャリア 〜就職の入り口手前〜

昨日のブログが跳ねてる‥

面白かったんだろうか???

 

履歴書からはみ出る経歴。

しかも、

偏ったチョイスばかり。

 

こんな人でも

世の中生きているんだなと

思ってもらえれば

役に立つのかも。

 

一般的には、

キャリア経歴というと

社会に出てからを

指すけれど、

動機などがもっと昔に

あったりするので、

もう少し前辺りから

行きつ戻りつしつつ。

 

大学入試、

全敗してしまったところで

考えていた未来予想図は

大崩壊してしまった。

 

浪人は許される状況ではなく、

(高校進学時点で親元を離れ、

がっつり脛を囓って

しまってるから)

この時点で選べるのは、

親元に帰るか、無理くりの就職

一か八かの専門学校進学。

 

絶対に帰りたくはないので

フリーターでもなんでもと

思っていたが、

大恩情により、専門学校進学を

果たす。

最終的に進学した専門学校と

いうのが、

小学生の時に興味を持っていた

バイオテクノロジー系統。

(ちなみに、小学生時に

なりたかった職というのが、

バイオ系の他に、

医師、薬剤師、教師、声優。

夢見がちな小学生だった。

しかし、声優を除いては、

養成する教育機関を

受験している。

声優はまだその頃、

経済的自立が難しいという

話の方が優勢だったのだ。

いつまでもアルバイトを

辞められないと。)

 

今であれば、バイオ系統でも

多くの職が門戸を開いているが

私が高校を卒業した時と

いうのは、

バブルが弾けたと

言われ始めた頃。

卒業年次の頃には、すっかり

世の中は冷え切っていた。

それと合わせて、私たちは

第2次ベビーブーマー

団塊ジュニアってやつで。

とにかく、人数が多いのだ。

 

高校卒業の時点で既に景気が

傾いていて、

2年後の専門、短大卒の頃には

冷えきっていて、

さらに2年後の4大卒の頃は

何もない、

そんな時期。

なのに、頭数だけはいるんだ。

 

今なら炎上ものだろうが、

就職説明会場ではっきりと

「ここから採用するつもりは

ないから、帰りたかったら

帰ってください」と言うことが

許された時代だったのだ。

↑この言葉、実体験ね。

 

じゃあ帰るのかといえば、

殆どの希望者は帰らない。

なんたって、

圧迫面接全盛期。

この程度で帰っていたら

履歴書を出す企業が

なくなってしまうんだよ。

 

学校に求人票

貼られるじゃない、新卒用の。

秋を迎えるまでに貼られたのは

2枚。

すごいでしょ?

2枚だけ。

他の求人票も貼られては

いなかったけれど、

あることはあった。

但し、一般求人だから、

採用が決まったら、

すぐに働きに行かなきゃ

いけないの。

大学と違って、

専門学校は高校と同じでね、

全単位履修なんですけど。

 

💢退学しろってか⁈

 

専門学校、目的は就職に役立つ

技術を身につけるところ。

就職とあらば、

背に腹はかえられぬ、と

いうことで、

働くことで単位の振替を

行えるようにした。

まさか自分がこの制度を

利用する羽目になるとは

露ほども思っていなかった

日照りの夏の思い出。

 

それでね、秋過ぎから

少しずつ求人票が

出てきたのだけれど、

景気が悪化すると

縮小が進められるのが

検査研究開発部門。

そう、時代的に

バイオテクノロジーなんて

やってられないのだよ。

前年までコンスタントに

新卒採用してくれていた企業が

新卒採用自体を取りやめ、

求人があったとしても、

欲しいのは4大卒男子のみ。

 

雇用の均等なんて風前の灯火で

給与も男女別、

しかも女子に至っては、

自宅通勤者のみ

それで肝心の給与は、

正社員と書かれていても、

10万円を下回るものも。

 

今ならわかるんだ、その仕組み。

求人票を出せと何処から

圧がかかったのだと思う。

でも企業には雇う余裕など

あるわけがない。

新聞もニュースも、

「リストラ」「閉鎖」「縮小」

こんな言葉が踊ってたから。

だから求人は出すけれど、

応募できないような条件で

かかれていたのだろうなと。

 

秋を過ぎても内定は

出なかった。

履歴書を出しても、

返事すら来ないのが半分。

お祈りレターが4割。

面接に何とか辿り着けた中でも

自宅外生と知った時点で

態度が変わり不採用とか、

スタイルの良い子がいいとか、

何も知識のない子がいいとか、

(従順な子が希望だったよう)

あとは、

本当に男性社員の嫁候補として

というのもあった。

 

今書いてみて、コワイわ‥。

これが20年前だよ。

戦前じゃないんだよ。

 

だんだん感覚も麻痺してきて、

正社員で給与も一人暮らし

できるくらいの額なら、

業種も職種も何でもよくて、

履歴書が出せそうなところは

みんないい会社に

思えてくるようになった。

 

だから、最初の会社は

大失敗したんだ。

 

市内の食品製造会社。

年末の書き入れ時に向けて

人が欲しかったことと

合わせて、

外部に対して検査も開発も

やってると言いたかったらしい

求人は、あくまでも

食品検査と製品開発。

 

ところがだ。

確かに履歴書は出した。

でも面接受けてないのに、

採用が決まったんだよ。

当時の自分の肩を叩きたいよ。

「おかしいよ。パートさんの

採用だって、面接するから」と

 

でも、↑の通り、感覚が麻痺

してるからさ、

社員として、検査や開発を

させてくれるいい会社だと

信じ込んだんだよ。

年末忙しいっていうのも、

冬休みにアルバイトすれば

早く馴染めるかな?と

実に激甘なお花畑だったよ。

 

内定後、提携している

大手食品会社で研修させて

くれると聞いて、

なんと良い会社なのかと。

 

まさか、研修先で

色々なことを思い知るとは

思ってもみなかったし、

その時点でも、

肝心なことに気付かなかった

私は、

大人の思惑なんて

ちぃとも分からない

文字通り赤子だったのだ。