キャリコンまぁさのキャリアもシンプルな構築で。

一個人として、またキャリアコンサルタント・コーチとして感じたことを綴っていくブログ

「分かり合えない」からこそ、いいことだってある。

分かって欲しいから

一生懸命説明する。

うん、いいと思う。

 

説明を尽くしたとしても

理解してくれないことだって

あるよ。

 

それに対して、

「こんなに〜したのに」と

思う気持ちは、

分からなくはないよ。

 

偉そうに言ってるけど、

私だって

プリプリ( *`ω´)すること

あるもの。

 

 

あなたが敬意を払おうと、

親切にしようと、

便宜を図ろうと、

仲良しであろうと、

完全にわかり合うってーことは

ないんだねぇ。

 

会社だろうと、

親友だろうと、

家族だろうと、

親子だろうと、

夫婦だろうと、

関係の如何に関わらず。

 

遠い遠い誰かだったら

自分と考えが違っていても

平気だけど、

関係が近しいほど

考えの差に

イライラしてしまう。

 

分かってくれない、

当たり前なのに、

常識的に、

普通。

本当はこんな言葉

使いたくないけれど、と

自分にエクスキューズしながら

必死に説得してたり。

 

 

人はそれぞれ。

考えだってそれぞれ。

みんなそんなことは

十分わかってる。

 

でも分かって欲しい。

 

近い間柄だからこそ

「そうだね」って

言ってほしい。

 

うん。

覚悟もさせずに

言ってしまうと、

 

甘え

 

 

だね。

 

 

 

わかってよ〜ってするより

拗らせてる系の。

 

 

分かってもらおうとする

姿勢はいい。

最初からムリと諦めるよりは

いい。

 

でも、現状

分かり合えないんだと

気付いたなら、

方向を変えていこうよ。

 

 

どうしても着地点が必要なら

譲歩するラインを互いに

出していく必要があるし。

 

互いに譲れないものが

ぶつかってしまったのであれば

時間の流れと自分の行動で

何かを見せていかねば

ならないだろうし。

 

根本的に人間関係を

見直すことも

必要かもしれないし。

 

敢えて、

分かり合えない状態を

維持したままも

ありなんじゃないかと

思う次第。

 

分かり合えないことに

そんなにマイナスイメージを

持たなくていいと思うのよ。

 

まず、多くの考えを

知ることができたじゃない。

独り善がりの考えから、

反対を突きつけられても

貫きたいことという確信へ。

その上で、

自分と違う考えに対し、

どう対処していくのか、

自分はどうしていくのか

考えざるをえないよね。

 

当然ながら、

協力を得られない

部分だってある。

そこはどうする?

知恵を絞ることになるね。

行動もしないといけない。

一人だからこその

身軽さも、責任も

味わうことができる。

 

それでね、

もがいてるうちに、

スキルが上がると共に

分かり合えないことの対しての

感情が治まっていくのね。

 

相変わらず

分かり合えはしなくても、

向こうは向こうの

考えなんだろう、

それを受け止めようと

思えてくるのね。

 

それを踏まえた上で、

もう一度話し合うのか、

そこには触れずに

やっていくのか、

穏やかな気持ちで

袂を別つのか、

決めてもいいんじゃない?

 

そんな大ごとにならない方が

いいのかもしれないけれど。

それでも、

自分が普段意識していない

自分を形作る考えを

認識できるのだから、

摩擦もいいことだなと思うよ。