キャリコンまぁさのキャリアもシンプルな構築で。

一個人として、またキャリアコンサルタント・コーチとして感じたことを綴っていくブログ

思うがゆえに、あなたの普通と私の普通は不通である。

こんばんは(^^)

年度末でございます。

今日あたりは

花束を抱えた人や、

送別会があったりで

繁華街も

賑わっているのでしょうか?

 

 

 

**

 

 

 

さて、タイトルは

オヤジギャグですね。

冷たい風が吹きつけています…

 

あなたとわたしは違う人ですね。

当然ながら外見は違いますし、

性格だって違いますね。

好き嫌いや得手不得手も。

ものの考え方や感じ方だって

どんなに仲が良くたって

完全一致なんて

そうはないことで。

 

ね、自分と違う人だと

よ~く知っているはずなのに!

 

「普通は~~なのに、・・」

「普通にして」と

言ってしまうの

なぜなんでしょうねぇ?

 

「普通」の意味の中に、

「当たり前であること」という

意味があります。

たぶん、このニュアンスで

「普通」を使っているのだと

思いますが…

本当にそれって、

誰にとっても当たり前のこと

なのでしょうかねぇ?

「私が思うスタンダードに

合わせなさい」という気持ちは

入ってないのでしょうかね?

 

目的が、

相手に行動の変化を

求めることならば、

そのまま

「~してほしい」でも

通じるはずなのに、

どうして

詰りたくなるんでしょう?

 

「私はこんなに〇〇なのに」?

空気読んで欲しい?

大変な思いを共有してほしい?

 

考えてることも、思うことも

見ているつもりのものすら

違うかもしれないのに。

他の人に、自分と同じになれと

要求するのですか?

 

・・上から目線・・

 

残念ながら、

あなたの言う「普通」は

 あなたの価値観の中の「普通」

でしかないのです。

ローカルルールってことです。

相手は相手のローカルルールで

判断してくるのです。

擦り合わせて、

互いに納得できるところ、

落としどころを見つけて

調整していくところを合わせて

「2人の普通」を作ったら?

 

どうしても考えを合わせるのが

難しいものは

別行動でいいじゃない。

すべてが一緒じゃなくても

大丈夫よね、

お子さまじゃあるまいし。

違いを面白がれるくらいの

余裕は欲しいところ。

 

家族だって

友達だって

恋人だって

どんなに長期間

共に過ごしたとしても

分かり合えないところ

不思議な所っていうのは

出てくるよね。

いいじゃない、それで。

 

考えや思いがすべて同じじゃ

世界中、

姿だけが違う自分ばかりだよ。

それって、

自分が存在しないのと

一緒だよね。

プログラムが単一の

大量生産されたロボットが

人間っぽい生活を

行ってみているのと同義だし。

 

あなたはそれでも

「私の普通」を

他の人に押し付けますか?