キャリコンまぁさのキャリアもシンプルな構築で。

一個人として、またキャリアコンサルタント・コーチとして感じたことを綴っていくブログ

栗城史多さん‥ ライフキャリアの窓から見てみたら

友人・知人の類いでは

ないのですが、

今回のことは衝撃でした。 

 

直接お見掛け、というか、

ある企業のゲストパネリストと

して登壇されていたのを

拝聴したぐらいで、

あとは、

北海道内の情報番組に

登山時の映像を持ってきて

出演されている姿を

拝見するくらいのもので。

特に思い入れがある人でも

なかったのです。

 

では、この度何に衝撃を受けたのか

というと、この発言にです。

 

「僕にとって冒険の共有が重要

なんです。エベレストに単独・

無酸素で登ることは本当の目的

じゃないし、ゴールでもない。

みんながみんなの夢を応援し

合えるムード、社会をつくり

たいんです」

『週間SPA!』2015年9月8日号

より引用

 

エベレストに登ること自体は、

目的じゃないと

仰っているのです。

みんながみんなの夢を

応援し合える世の中にする為の

手段の一つとして、

エベレストに

単独・無酸素で登るのだと、

この記事からは

解釈してしまうのです。

 

目的を達する為、

どのような道筋で、

途中に目標を置き、

具体的方策を実施して行くかは

基本的に個人の自由です。

だとしても、

目的を達する為に、

エベレストを単独・無酸素で

登頂することを

手法にしてしまうって、

どういうことなのだろうと。

 

他の手法では

叶わないと思っていたのかな‥

困難に思えることでも

挑戦して欲しいことを

伝えるにあたり、

冒険の共有が

この方法しかないと

思っていたのだとしたら、

すごく残念だなと。

 

夢を叶えるのに

道は1つじゃない、

色々な方法がある、と

ゲストパネリストとして

話していたのにね。

自分には適用しなかったという

ことなのかな‥?

 

 

今となってはもう何も

尋ねることなど

できないけれど、

自分の人生をどうして

いきたかったんだろう?

パネリスト登壇していた時も

他人に対しての話は

強いメッセージとして発信して

いたと感じたけれど、

自分のことについては、

話をすれども色調が

薄いというか‥。

自己顕示欲が薄いというか

Iメッセージの弱い人だなと

そんな風に感じました。

 

ゴールは死ぬ時だと

語っていた栗城さん。

ゴールをこんな近いところに

設定したのでしょうか?

山のことなど何もわからない

からしても

不思議に思うことが

沢山ありすぎます。

 

もう何を言っても

始まりませんが‥。

ご冥福をお祈りします。